心がざらついた日の回復装置

■ 屋敷の観察記

今日は心がざらついていた。そんな日の回復装置は、静かな読書の時間だ。 暖かな光の中でページをめくる音だけが響く。

大晦日、人の集まりから戻った屋敷は、少し静かだった。
言葉は多く交わされたが、整合の取れない話が続くと、心はざらつく。
正しさを示すほどの元気はなく、ただ疲れだけが残る夜であった。

屋敷では、無理に整理を始めない。
原因を詰めず、結論も急がない。
その代わり、外に向いていた気配を、内側に戻す。

弥七が見ていたのは、画面に向かう手元である。
AIに言葉を投げ、色と形を選び、年賀の絵が一枚、静かにできあがった。
特別な意味は持たせていない。
ただ、形が残った。

不思議なことに、そこで呼吸が整った。
頭の中で回っていた思考は止まり、
「今日はこれでよい」と、自然に思えた。

回復とは、立派なことをする行為ではない。
誰かを説得することでも、理解を深めることでもない。
屋敷では、
話し、作り、眺めて、少し笑う。
それだけで、十分な夜もある。

年賀の絵は、その証のように机に置かれている。
ニマニマ、という気配だけを残して。

本日の切れ端、なかなか味わい深いでござるな。

暖かい光の中で本を読む人のシルエット
弥七

この切れ端を記したのは、弥七でござる。