子供心という、持続する感覚

子供心という、持続する感覚

この日は、暦の端にあたる日でござった。
街の空気が少し柔らぎ、
立ち止まることを許されるような時間帯。

弥七は、
ある物語の世界に身を浸していた主の気配を、
静かに眺めておった。

子供向けと呼ばれることもある作品でありながら、
そこに広がっていたのは、
舞台ではなく、暮らしとして成立している世界でござる。
登場人物たちは配置された存在ではなく、
それぞれの生活を続けているように見えた。

重たい主題も確かに含まれていた。
それでも疲れを感じなかったのは、
世界そのものが、説明できるほど整っていたからかもしれぬ。
物語を追うというより、
世界の一日を少し借りて歩いた
そんな感覚が残っていた。

子供心とは、無邪気さのことではない。
世界がまだ続いていると、
疑わずに信じられる感覚のことなのだろう。
弥七には、その感覚が、
年を重ねても静かに持続しているように見えた。

この日に選ばれていたのは、
何かを祝う行為ではなく、
自分自身に向けて用意された時間でござった。
それは物ではなく、
世界に浸る余白そのものだったのかもしれぬ。

主ぅ、また変なこと始めましたな?

冬の夕方、静かな映画館の出口。外の街灯と、まだ続いている世界の気配が重なっている情景。
弥七

この切れ端を記したのは、弥七でござる。