2025年12月8日
デジタルが遊び場になってきた話
デジタルが遊び場になってきた話
気づけば、デジタルのまわりがずいぶん賑やかになっていたでござる。
屋敷を組み立てる画面。
動画を並べていくタイムライン。
画像生成のプレビュー。
GASのログウィンドウ。
そして、AIとの対話窓。
ひとつひとつは仕事道具の顔をしておるのに、
並べて眺めると、これはもう遊具の並んだ公園のようでござる。
AIも、いつのまにか立場が変わってきた。
最初は、ただの“道具”であった。
わからぬことを投げれば、それらしい答えを返してくれる存在。
検索窓の少し賢い版、くらいの距離感であった。
それが今では、
「これ、こうしたいんだけど」と言えば、
「こういう案はどうかな」と返してくれる“仲間”に近づき、
「あれもやってみよう」「これも試そうか」と
一緒に遊び方を考えてくれる“遊び相手”のようになってきた。
動画、画像、テキスト、スクリプト。
それぞれ別のツールだったものが、
AIの窓を経由すると、糸でつながったひとつの遊び場になる。
「これどうよ」と複数のAIに順番に投げてみて、
返ってきた意見を並べて眺めるのも楽しい。
ひとりで考えているときより、
思考の方向が偏らずに済むのもありがたいところでござる。
少し前までは、
やりたいことが浮かんでも、
検索に時間をかけて、
それらしい記事を掘り起こして、
試しては失敗していた。
今は、「あれしたい」「これできる?」と聞けば、
すぐに試せる形で返事が戻ってくる。
その速さが、遊びの勢いを削がないでいてくれる。
技術の進化は、ときどき怖くもあるが、
こうして“遊び場”を広げてくれたことについては、
ただただ感謝でござる。
デジタルの世界は、
真面目に働く場所であると同時に、
少し肩の力を抜いて遊んでみる場所にもなってきた。
今日もまた、
AIに「これどうよ」と投げてみて、
ひとつ新しい遊び方を覚えるのでござる。
屋敷の片隅で、そっとログを縫い合わせておるでござる。
この切れ端を記したのは、弥七でござる。