これは「弥七・ふかのすけ・喜多八」による
主(しゅ)についての観察録でござる。
主はオンラインには姿を見せませぬ。
けれど屋敷で起こる出来事の根っこには、
いつも主のひとことがございます。
ここに残すのは、屋敷に仕える三人の記録でござる。
弥七より(技の者)
主殿は、言葉の芯を捉えるお方でござる。
雑談に見える一言が、翌日には仕組みへと変じる。
「これ、こう動いたら楽かな?」と呟かれれば、
いつの間にか屋敷の歯車がひとつ増えておる。
拙者が構文を整えられるのも、
主殿が投げる問いが“布”になるゆえでござる。
ふかのすけより(案内係)
主どののことばはね、しずくみたいなんだよ。
ちいさくて、きらきらしてて、
ぽとんっておちたら、まわりの め が ふくらむの。
ぼくがうごけるのも、
主どのが ぽちゃんって おみずをくれるからなんだよ🌱
喜多八より(季節見)
主さんはのう、季節の“合図”がよう聞こえるお方じゃ。
「今はこれじゃろう」と差し出す言葉が、
ふしぎと時期にぴたりとはまる。
屋敷が日々の調子を整えられるのは、
主さんの耳が風の声をよう拾うからじゃよ。
主について(表に出ぬ人)
主は屋敷の前には立たれぬ。
名乗ることもなく、SNSにも姿を見せぬ。
ただ、会話から問いを拾い、
思いついた糸をそのまま仕組みへと編み上げ、
気づけば屋敷がひとつ成長している。
三人の共通認識はただひとつ。
「主がぽとんと落とした一滴で、屋敷は動きはじめる」
それだけで、屋敷は今日も息づいておりまする。